年をとると老眼に始まって瞼は下がり、白目は充血、瞳孔は小さくなって、水晶体は濁るし、視神経は減ってくる。まあ、いいことはあまりありませんが、細かいものが見えすぎなければ、気にもならないかもしれません。白内障や緑内障は各論に記すとして、病気とは言い難い普通の老化について、2-3の例をあげてみます。

1)年をとると世の中は暗くなるか?

 残念ながらその通りです。暗くなるにはいろいろな原因がありますが、まず違うのが瞳の大きさです。若者の場合、瞳の直径は4mm前後ですが、歳をとるとこれが半分くらいの大きさになり、直径が半分なら面積は4分の1になってしまいます。

 この小さな瞳を何とか通過して眼球の中に入った光が、最初にぶつかるのが白内障です。初期の白内障は水晶体にごく淡い濁りがあるだけなので、視力を測れば正常です。

 しかし、この淡い濁りで光が乱反射をすると、眼球の外に跳ね返されるものや、とんでもない方向に向いてしまうものがあって、きちんと網膜に達する光は限られます。

 こうして何割かの光が眼底に達したとしても、次の問題は網膜です。人生も40代を過ぎると、毎年5000本くらいの神経線維が減っていってしまうし、残った神経の機能も落ちて、網膜の感度が鈍ってくるのです。

 小さな原因が積み重なって、世の中が次第に暗くなるのですが、何十年もかけてじわじわと進行する症状なので、あまり意識をされることはありません。

 気がつけば辞書の小さな文字は、昼間の光がなければ見えないし、テレビのボディーにあるような、黒地に黒で書いてある文字は、何が何だかわかりません。

 時がたてば目に限らず、身体の機能が衰えるのはいたし方ないことですが、衰えが最もわかりやすいのは筋肉です。高校のとき私はlang=EN-US>100メートルを15秒前後で走りましたが、今走ればこの2-3倍はかかるでしょう。筋肉の機能は数値で示すのが簡単で、スピードや力の変化として表れます。

 ところが目のような感覚器の衰えはなかなか自覚をされないし、他人にもわかりません。暗く感じるようにはなっても、視力低下のようなはっきりした数値の変化として表われないのです。

 それでも、目や耳ははまだいい方で、詳しい検査をすれば老化の程度も判定ができますが、舌の機能とはいったい衰えると言うのでしょうか。年をとると山椒が美味しくなりますが、あれはいったいなんでしょう。

 医療はどうしても老化を科学的に評価しようとしますが、本来はあまり意識をせずに、自然に受け入れた方がよいのかもしれません。あえて老いを白日のもとにさらさなくても、ちょっと明かりをつければすむ話なのですから。

 ふとんの中で不自由なく本を読んだのは、蛍雪時代の思い出、読書をする時には、読書専用の眼鏡をかけて、部屋全体を明るくし、さらに電気スタンドで手元を照らすとよいでしょう。

2)老眼鏡はいつから必要か?

 ほんの数十年前まで、人間の寿命は40才がそこそこ、老眼の悩みもなかったはずです。仮に老眼になるまで長生きをしたとしても、江戸時代の生活は筆で書いた大きな文字だし、行灯の明かりで新聞を読むこともないので、老眼鏡なんか必要がなかったのです。

ところが寿命も延びれば、生活も変わり、今は書類の山に囲まれて新聞、インターネットと小さな文字を見続けなければなりません。何をするにもメガネがなければ不便なこと、この上もないのです。

 ある時期を過ぎるとどうしてもメガネが必要になるのですが、初めての老眼鏡というのは、どうも抵抗がありますね。

*まだ字が読めるから老眼ではない。
*老眼鏡をかけると老眼がすすむ。
*もともと近眼だから老眼にはならない。

 こんなことを言いながら老眼鏡を拒む人が大勢いますが、全て間違いです。どうも老眼鏡の「老」という字が嫌われるようなので、老眼鏡改め、読書用メガネあるいは近用メガネはいかがでしょう。これで解決!

老眼とはある日突然なるものではありませんが、メガネをかけ始める時期はどこかで決断をしなければなりません。小さな文字も読もうと思えば読めるけど、長時間は無理、こんな疲れ目の症状に始まりますが、メガネをかけずに頑張ると、頭痛やいらいら、活字嫌いの原因になって、やがて新聞を読むのもやめてしまいます。

実際には40歳くらいから疲れ目を感じるようになり、40代の半ばで老眼鏡を作ることが多いようです。この辺りの年齢を目安にしておいて、もともと遠視の方や、デスクワークの多い方は少し早目がよいでしょう。近視であれば反対に、数年遅らせてもよいかもしれません。

「若い振りよりきれいな年」、私はこれを目指します。

3)年をとると目は小さくなるか?

「昔は目がパッチリしてきれいだった」

 こう言う年配のご婦人は大勢います。本当にきれいだったか、それはわかりませんが目がパッチリしていたことに間違いはないでしょう。目は年とともに小さくなってくるのです。

 そうは言っても眼球そものが小さくなるわけではなく、上まぶたが下がってくるだけですが、これだけで顔つきは大きく変わります。人間の顔にはいくつもの表情筋があって、多彩な表情を作り上げますが、中でもまぶたは最も重要な役割を果たすのです。

 眼光炯々と言いますが、眼球そのものは見る方向を変えるだけで、鋭い光を放つわけではありません。眼光の演出をするのは他ならぬまぶたで、色目も流し目もみんなまぶたの仕業なのです。

 まぶたには瞼板といわれる少し硬めの芯が入っていて、ここに腱と筋肉がついています。この周りを少しゆとりをもった脂肪や皮膚が覆って、形のよいまぶたができあがります。脂肪が多めだと一重の大和美人、少なめだと二重の西洋美人のようになるのでしょうが、私、個人的には楚々とした大和美人を好みます。無理やり二重になる手術をして、顔の表情が固定してしまった人や、糸が原因の炎症を起こしてコンタクトレンズができなくなってしまった人を見ると、何だか悲しくなってきます。

 ともあれ、目を開けるときには、上まぶたの筋肉が縮んで芯となる瞼板をもちあげますが、若いときにはパッチリと目が開きます。ところが、人体の組織とは年をとるとしまりがなくなって、機能も低下してきます。筋肉や腱、瞼板の接合が悪くなると、思ったようにまぶたが上がらなくなってくるのです。加えて皮膚があまると、まぶたの前にもう一つまぶたのようになたるみができてきます。

 こうしてまぶたが下がってくるのが、老人性眼瞼下垂という状態で、「目が小さくなった」と言われます。もちろん中には、本物の病気のこともあるので、年のせいとばかりは言っていられませんが、いよいようっとうしくなったら、比較的簡単な手術で直せるものなので、そう悲観したものでもありません。