高齢者は単に長生きをした人ですが、老人とは長生きをして、身体の機能が衰えた人を意味します。かつては「老」の文字に尊敬の意味合いがありましたが、「おいぼれ」と似たような言葉に変わってしまって、今や差別用語。高齢者の差別を「エイジズム」と言うことは最近知りましたが、そのエイジズムが最も露骨に現れるのが医療の現場で、身体の不調を訴えて病院に行っても、「年だから」の一言で片付けられては、どうしようもありません。

全く個人的な見解ですが、医師は偏差値を基準に作られて、競争に勝ち抜く訓練はされていますが、病人に対する配慮を学ぶ期間が少ないような気がします。

「年だから」という言い方の是非はともかく、その内容はどういうことでしょう。

若い身体は何につけ余力をもっていて、心臓でも肺でも3割くらい機能が落ちても、生活に支障は出ないのです。最高時速が100kmの自動車に乗って、70kmくらいで走っているようなもので、この差30kmが予備機能です。しかし、壮年あるいは初老といわれる頃、最高速は80kmになり、70kmに低下します。それでも走ることはできますが、いやに疲れやすいし、無理がきかなくなってきます。そして、この予備機能が予備でなくなったとき、生活に様々な支障がでてくるのです。

こんなに単純なものでもないでしょうが、身体全体がバランスよく衰えてくれば、それは普通の老化です。どこか一部が特別に悪くなって支障が出れば病気と言われ、その病気になる器官は10や20ではありません。

あらゆる病気が網羅されている国際疾病分類というものがあって、これを見ると千にも近い病気が記されています。ある病気にかかる確立が例え1%だとしても、千の病気を全てクリアーするのは並大抵のことではない。

現実に今の日本では65歳以上の、三人に二人は何かの病名がついています。これは自覚症状があって、病院を訪れた人々の統計ですが、もともと病院が嫌いな人や、過疎地で診療を受けられない人は、この中に含まれないので、実際に精密検査をすれば、病気のない人などほとんどいないでしょう。

年をとると常にどこかの調子が悪いので、気にもかけずに暮らしてしまいますが、そんな高齢者の病気とは、若者の風邪のようにわかりやすいものではありません。

自覚症状もはっきりしなくて、例えば貧血の症状を詳しく見れば胃潰瘍だったとか、老眼鏡を直しにきて緑内障がみつかるとか、そんな具合です。

当然のことながら、同時にいくつもの病気を併せ持っているし、発症した時期もはっきりしません。どれも偶発的な病気ではなく、なるべくしてなったものなので、一時的な問題の解決はあるにせよ、根本的に後戻りをする身体ではありません。徐々に進行するので、ゆっくりと死にいたる病と言われますが、急な合併症を併発すれば話は別で、癌や動脈硬化の病人が重症の感染症をおこすのは、めずらしいことではありません。

治療の方も一筋縄ではゆかなくて、安静にしていればよいものも、安静にし過ぎれば別の弊害が出る。決まった量の薬を服用しても、予想外の副作用が出て、治療の常識が通用しない。

こうして見るとあまり明るい材料はありませんが、年をとったら否応なく病気と付き合わなければなりません。ただし、同じつきあうにしても、相手が大物か小物かによっても、多少作戦を変えるとよいかも知れません。

老年期の3大死因は癌、心臓病、脳血管障害で、これは死にいたるメジャーな病気、できればこれにはなりたくない。なりたくないけれど父親が癌で死ねば、癌が気になるように先天的な要因もありますが、もう一つは生まれてから何十年か暮らした生活の歴史が大きな要因です。中でも最大の原因は食事と空気で、食事の方は脂や塩分を控えて工夫のしようもありますが、空気はどうしようもない。紫外線は遺伝子を痛めつけるし、酸素を吸えば活性酸素ができて、これがさらに遺伝子に悪さをする。そうかと言って、食事も空気もなければ、病気になる前に死んでしまう。その他飲酒、喫煙などの習慣は、悪いとわかっていても、この世からなくなることはありません。

社会的には住環境や医療、社会福祉などが、直接寿命に影響を与えるし、所得や教育も関係してくるので、格差は健康にまでおよんで、これは個人の力ではどうしようもない。できるとすれば、それは自分の身体に対する配慮で、具体的には衣食住の他に運動、休息そして適当な余暇活動に心がけることでしょう。20歳の頃はともかく、40歳を過ぎたら、人間の身体は毎年変わるので、食事や休息など、去年と同じことをしていては身体がついていかないのです。

年をとれば誰にでも動脈硬化はおこるけれど、生活歴いかんでその程度はずいぶん異なるもので、血管の内腔が塞がるほどの変化が起きれば、狭心症、心筋梗塞、脳内出血、脳梗塞、認知症などといった病気に発展するのです。身体は血管とともに老いる。

こうしてみると病気の発症とは、若いころからの生活の積み重ねで、急になるものではない。また急に思い立って、これをやったらすぐ健康になるとか、これを飲んだら若返るということもない。いい加減な健康機具や偽薬を信じる前に、学問が長年かかって地道に確立してきた方法を理解しておいた方がよいと思います。

それでも心配になったら、とるべき手段は病気の早期発見です。健康診断や人間ドックは必ずしも信頼できるものではないけれど、何もしないよりはよほどいいと思います。

不幸にして癌がみつかっても、早期であれば不幸中の幸い、根治ができないところまで行ってたら、これととことん戦うか、ある程度のところで妥協をして、苦痛をとる選択をするか、この問題はまた後ほど考えてみたいと思います。

次に直接死には関係しないけれど、白内障や関節症、歯の病気は生きている間の幸福感の問題です。マイナーな病気ではありますが、予想以上に不愉快なもので、見えない、歩けないとなれば、自分はおろか周囲の人の生活にも支障をきたします。

メジャーな病気と同様、予防ができるものがたくさんあって、今、私は歯槽膿漏で死に物狂いの歯ブラシをしていますが、若い頃から一所懸命やっておけばよかったと、つくづく後悔をしています。

ただ、虫歯と違って、緑内障のようなものは防ぎようがない。予防もできないし、後戻りもできないとなれば、取るべき手段は現状維持なので、やはり早期発見が大切です。

マイナーな病気にかかったときには、治療のメリットとデメリットを聞けば、自分でどういう風にしたいか、だいたいの判断はつくもので、生きるか死ぬかというよりよほど決めやすい。第一、メジャーな病気と違って、自分の意識がなくなった後のことまで、計算する必要がありません。

癌や脳卒中が助かる見込みがないとき、どこまで治療をするか、病人も医者も判断が難しいと思いますが、私はマイナーな目を担当するので、もう視力がいらないという人はまずいない。失明しそうになったらとことん頑張るのが普通です。

幸いなことに、最近は外科領域の小手術の進歩が著しくて、人によっては大きな恩恵を蒙るものがたくさんあります。白内障手術などはその典型で、他にも歯科のインプラント、人工関節など、生活の質が格段に上昇するものがたくさんあるので、身体の修理をしながら、以前よりは老後が暮らしやすくなったものと思います。

老いてからの病は防げるもの、治せるもの、先送りにできるもの、どうしようもないものなど、様々ですが、いずれにしてもこれまでの生活習慣から意識まで、数十年の過去を背負って対峙するもののようです。